今昔 お寺からの眺め

相模国の西、箱根外輪山明神ヶ岳の麓は足柄平野から、西湘の海を望む雄大な場所に佇む浄土真宗寺院・善福寺は、宗祖・親鸞聖人常随の高弟である関東六老僧の一人、平塚入道了源上人(伊東四郎祐光)の創建以来、八百有余年に亘り、相州にありて坂東の人々と共に歩み、歴史の荒波の中でその流れを見つめ続けてまいりました。

その歴史の頁を紐解きつつ、寺が見つめてきた相州今昔切れ端の物語を伝えてまいります。
   

本ページでご紹介しているそれぞれの場所へのアクセスは、以下の地図をご参照ください。


南足柄 七福寺について

南足柄七福寺とは、令和元年、現在の神奈川県南足柄市にある『福』がつく七つのお寺を南足柄の七福寺としたもので、それぞれ宗派も歩んできた歴史も違えども、古くからそこに暮らす人々、遠方より訪れる人々が幸福を願いお参りしてきた寺院です。令和の時代に入り『南足柄七福寺めぐり』という形でリニューアルした南足柄七福寺ですが、古くは関本地区の三つの寺院を中心としたものでした。 中寺と呼ばれ親しまれてきた長福寺、下寺と呼ばれ親しまれてきた龍福寺、そして明治期の廃仏毀釈で廃寺となってしまった現在の廃寺善福寺が上寺として、いずれもがその寺号に『福』の字がつくことから、『関本の三福寺』と親しまれ、財産(上寺)、健康(中寺)、智慧(下寺)の三福を願う庶民のお参りが絶えなかったということが、江戸時代後期、天保年間編纂の『新編相模国風土記稿』にも見られます。 やがて平成の時代に入り、関本三福寺に、近隣の寺号に『福』の字をもつ三寺院が新たに加わり南足柄六福寺を経て、今日、南足柄七福寺となっております。それぞれに行われる季節の催し物や、境内の見ごろの草花などを楽しみつつ、幸福を願うお参りをなさってみてはいかがでしょうか。

南足柄七福寺それぞれのご紹介は、以下寺院名をクリックしてください。

廃寺善福寺跡  南足柄市関本249-1 付近
長福寺     南足柄市関本537
龍福寺     南足柄市関本1040
福田寺     南足柄市和田河原1195
善福寺     南足柄市怒田153
天福寺     南足柄市千津島9
保福寺     南足柄市内山1959

周辺観光と歴史(詳細作成中)

善福寺にお参りいただいた際、ぜひ足をのばしていただきたい所がいろいろとございます。 天狗のパワースポットとして知られる大雄山最乗寺、美術館が多くミュージアムカフェなども楽しめる高原リゾート地として知られる箱根仙石原や、金太郎伝説発祥の金時山、二宮尊徳(通称:金治郎、金次郎)生誕の地、そして後北条氏の本拠として知られる小田原城など、今後こちらのページで様々ご紹介してまいります。 南足柄と箱根山を境として東西に広がる仙石原は、かつて山での人の交流が盛んであり、現代の移動手段や行政区分とは違った人の営みが受け継がれてきた地でもあります。また足柄峠から関本へと抜ける道は、京と鎌倉とをつなぐ官道として栄え、その時代の関本(足柄関のふもと、という意味。かつては「坂本」、足柄坂のふもと、という呼び方でもあった)は相模国において、国分寺のあった海老名に次いで馬の数が多かったと伝わっています。
また、南足柄市怒田にある範茂史跡公園には、後鳥羽天皇の寵臣として仕え、承久の乱において朝廷側の首謀者として斬罪が定められた藤原範茂の墓と伝えられる宝篋印塔があります。(伝:室町前期の作) 上皇方の敗北後に、六波羅に拘禁された範茂は、その後都での処刑を避けるために東国へ護送される途上、五体に不具があっては往生に障りがあるからと自ら入水を希望し、足柄山の麓の早川の底に沈められて処刑されたと伝えられています。他にも、家康に幼少期から小姓として仕え、後に岡崎三奉行と呼ばれた天野康景の墓がある南足柄市の西念寺、後北条氏に仕えた乱波である風魔党の根拠地であったと伝えられる風祭付近、そして、およそ20年に亘る関東での伝導活動を終え、平塚、国府津を経て小田原から箱根越えをして京へと戻る途上で親鸞聖人が訪れたと伝えられる箱根権現(現:箱根神社)など、歴史を肌で感じられる場所が点在しています。箱根神社境内、箱根権現の楚石付近には、昭和三十九年八月に建てられた親鸞聖人像があります。南足柄から足を伸ばして、訪れていただきたい場所のひとつです。

Fuufubo_00_695px.jpg