天狗伝説と最乗寺
南足柄の地、大雄山には、天狗伝説でもよく知られる曹洞宗寺院、大雄山最乗寺がございます。
南北朝時代、曹洞宗大本山総持寺の住持を三度勤められました通幻禅師(通幻寂霊)の門下、通幻十哲のひとりに数えられます了庵慧明禅師が応永元年(西暦1394)に開山されたのが大雄山最乗寺でございます。
相模の国大住郡糟谷の庄に生まれた開山了庵慧明禅師は、元は藤原姓であり地頭の職に在りましたものの、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉 不聞禅師に就いて出家、能登の国總持寺の峨山禅師に参じ、更に丹波の国永沢寺通幻禅師の大法を相続するにいたりました。
さて、天狗伝説の伝わる寺院としても広く知られている最乗寺でございますが、天狗と申しますれば、いわゆる神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物、その様相は山伏姿で赤ら顔、一本歯の高下駄を履き、高く長くのびた鼻(高鼻天狗)か鳥のように尖った嘴顔(鴉天狗)をし、翼で空中を飛び、また大天狗や力のある天狗ともなればそれ自体に神通力のある羽団扇や八手団扇を手に、という姿が思い浮かぶところでございましょうか。
『美勇水滸傳』木曽駒若丸義仲に鼻を摑まれた天狗(一魁芳年筆)
ただ、元々天狗と申しますのは、中国において凶事を告げる流星のことをあらわすものであったそうでございます。ひとたび流星が地に墜ちる勢いで迫り来れば、その火球は空で爆裂し、それが発する大きな爆音は、さぞかし人々の心胆を寒からしめたことでございましょう。さながら咆哮を上げながら天より駆け下りてくる犬(狗)の姿の様であり、それを天狗と呼びならわしてきたもののようでございますこと、『史記』、『漢書』、『晋書』にも伝わるとおりでございます。
我が国において天狗というものが初めて語られたのは、飛鳥時代、舒明天皇九年(西暦637年)のことと日本書紀に記されているものがそれにあたる様でございます。都の空を彗星が東から西へと、雷鳴のような轟音を轟かせながら流れていったそうでございますが、そのあまりの音に人々が慌てながらあれこれと憶測する中、唐から帰国した学僧の旻が、これは天狗というものが吠えているのであり、その咆哮が雷鳴に似ているものだ、と人々に話したと伝えられております。
ところがその後暫くの間、天狗について語られることはなくなってしまいました様ではありますものの、奈良時代に役小角(役行者)からはじまったと伝わる、山岳信仰である修験道と相重なることや、平地に暮らす人々が山岳地帯を異界として畏怖し、そこで起こる不可解と映る現象を天狗の仕業としてとらえたことなどから、次第に天狗に山の神としての側面が加えられていった様でございます。ただ、この頃にはまだ天狗の姿かたちというものも様々で、後に御伽草子の『天狗の内裏』にて描かれる鞍馬天狗の姿が、今に伝わる天狗の姿かたちの基となった大なるものではないかと考えられております。
今に伝わる天狗の姿、時を経てその流れを四季折々の自然と共に語り伝えつづけている大雄山にて、触れ感じることのできるものとなりましょうか。
【関連サイトのご紹介】
最乗寺 公式ウェブサイト
曹洞宗 大雄山最乗寺の公式ウェブサイトです。
南足柄市ホームページ 最乗寺紹介
南足柄市ホームページ内での最乗寺紹介ページです。
南足柄市ホームページ 天狗伝説コース
南足柄市ホームページ内 天狗伝説コースのページです。
中国古代の『山海経』掲載の天狗像