坂本駅家と関本の地





我が国では、中国の制度を参考にしながら、概して7世紀後期(飛鳥時代後期)頃から律令制が施行されてまいりましたが、その古代日本の律令制下にあって、五畿七道の駅路沿いに整備された施設に駅家(うまや)があります。 原則として三十里(現在の約16km)ごとに駅家は設置され、関本地区は、古東海道の坂本駅家が置かれていたところでございます。隣国、駿河国の横走駅家を経て、足柄峠を越え相模国に入るのですが、その峠を越えて最初の駅家が坂本駅家でございました。足柄山という難所越えに備えて、常に多くの馬を用意した大きな駅家であったと伝えられております。後、鎌倉期には、五摂家の一家である九条家による幕政介入をこれ以上進行させたくないという北条得宗家の意向と、後嵯峨天皇の利害とが一致したこともあり、初の皇族将軍となる鎌倉幕府六代将軍・宗尊親王の鎌倉下向がございましたが、「吾妻鑑」によれば、建長四年(西暦1252年)下向に際し宗尊親王が関本宿を経て鎌倉へと至ったことが記されており、少なくともこの頃には「関本」の地名があったと考えられております。
律令時代より駿河国と相模国とを結ぶ東海道の本道(古東海道)にあたり、「足柄道」や「足柄路」と呼ばれていた街道は、やがて江戸時代に整備された矢倉沢往還となり、江戸城赤坂門から相模国、足柄峠を経て駿河国の沼津宿を結ぶ街道の宿駅として制定された関本周辺は、宿場町として、また最乗寺の門前町としても栄えたと伝えられております。

周辺には足柄神社(足柄明神)もあり、その参道を少し下ったところには観音堂(足柄明神本地堂)がございますが、これは平安時代末頃から盛んになった本地垂迹(ほんじすいじゃく:仏教興隆期に生まれた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実のところ様々な仏が化身として日本の地に現れたものとする考え。)の思想に依るものと伝えられております。

また本サイトでご紹介している南足柄七福寺は、古くはこの関本地区の三つの寺院を中心としたものでした。

『関本の三福寺』
廃寺善福寺 上寺
長福寺 中寺
龍福寺 下寺
 
歴史の景色を様々感じられるところのある関本地区、ぜひ旧宿場街を歩いてみることでそれらを感じてみてください。


【関連サイトのご紹介】
足柄神社