南足柄七福寺 善福寺 浄土真宗本願寺派 (弁財天)

龍頭山華水院善福寺は、親鸞聖人常随の関東六老僧の一人、平塚入道了源上人(伊東四郎祐光)の創建です。伊東祐光は伊東祐親の孫にあたり、仇討ちで有名な曽我兄弟(鎌倉時代初期の建久四年、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件)とは従兄弟の関係になると伝えられています。もとは天台宗高麗時大権現の別当でありましたが、国府津に滞在していた親鸞証人と出会い、その門に帰しました。そして、延応元年(1239年)に壗下(まました)の地に本堂を建立いたしました。現本堂は文化二年(1805年)の再建であり、また、山門は大久保忠衛の屋敷門からの移築です。江戸時代から寺子屋が開かれ、福沢小学校の開校の場ともなりました。本尊は阿弥陀如来。

※『南足柄七福寺めぐり スタンプ帳リーフレット』より
※スタンプ帳は南足柄七福寺各寺院(廃寺善福寺は弘済寺)にてお配りしています。

境内写真

山門、鐘楼、本堂の様子となります。