現在、供養には先祖供養や水子供養、針供養など、様々な形態が見られます。「供養」という漢語からは「世話をして養う」という意味が窺えますが、これをお釈迦さまのお生まれになられたインドの古語に見ますと、「尊敬心をもって」ということが大切であることが明らかになります。先祖供養ならば、仏となられた故人に尊敬心をもって接するということになるでしょう。テレビなどで喧伝されるような、「祟り」に対する手段や処置ではありません。そもそも、どのような事情があろうとも、この世を去られた方は阿弥陀さまのはたらきによって仏さまとなられているので、「祟る」というような悪心は捨てられています。「祟り」とは、この世の私たちが責任転嫁のために作り出した妄想です。このような態度で故人に向き合うことは、尊敬するどころか、故人を貶める失礼きわまりないことだと言えます。では、故人に尊敬心を持つということは、具体的にはどのような行いを言うのでしょうか。今、故人に心を寄せて頂きますと、おそらく、その方とご自身の間の出来事や思いが多く沸き起こってくるでしょう。亡くなられた瞬間まで、私たちは大変にお世話になったことでございます。私たちは、故人のご一生涯を敬い善縁といたしまして、今日という一日を大切に生きていかなければなりません。阿弥陀さまによりまして、故人はお浄土で新しくお生まれになられました。そして、私たちもこの世でのご縁が尽きたならば、同じくお浄土へ生まれることができます。お念仏は感謝の心です。ともに出会うその時まで、私を支えて下さる様々なご縁に感謝をし、お念仏の生活を続けていきたいものであります。供養するということの本来の意味は、このようなことなのです。